式内 志加奴神社
Contents
概 要
社号 式内社 因幡国気多郡 志加奴神社
読み:古 シカヌ 現 しかぬ
江戸時代は「勝島大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市気高町宿527
旧地名 因幡国気多郡
御祭神大己貴命(オオナムチ) 素盞嗚尊(スサノオ) 少彦名命(スクナビコナ) 保食神(ウケモチ)
例祭日 10月19日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
気多郡(ケタ):5座(並小)
式内社
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
稲荷神社 上坂神社
一口メモ
国道9号線鳥取市気高町下坂本交差点から南へ県道233号線に入る。鳥取市役所鹿野支所から1kmもない場所である。
宿という集落はすぐ分かったが、志加奴神社は川の向こう側らしく、橋に向かう道が分かりにくくて右往左往した。後になって逆方向から何だここから入ればよかったのかと思うことが多い。志加奴神社がある位置は鳥取市気高町宿で、志加奴は鹿野の万葉仮名だから、違う旧村にあるので変だなと思っていたが、神社の案内板によれば、元は鹿野にあった神社が当地へ遷座したという。
歴史・由緒等
神社は気高町宿の東側川向こうにあります。延喜式神名帳にのっていて昔から鹿野に鎮座していたことから、志加奴神社といい勝島大明神ともいわれました。勝島大明神という名称は天正(1573~92)年間に毛利の武将が宮吉(気高町富吉)年間毛利の武将が富吉(気高町)城主田公新介と戦うに当たり、当社に祈願して戦い大勝利を得たので「勝島大明神」という額面を掲げて感謝の気持ちを表したことから始まったといいます。
志加奴神社はもとは鹿野城から見下ろす街中にあったのを、亀井茲矩が見下ろす所にあるのはよくないといったん柄杓目に移し、その後今の地に移したといいます。志加奴の神社は古くから山の宮と里の宮があり、山の宮を志加奴神社鷲峰大明神、里の宮を志加奴神社勝島大明神と称していました。
明治初年の神社改革で今までの社号を廃して志加奴神社とし、1872(明治5)年郷社と定められました。
http://www.shikano.net/db/miya/007.html
境内・社叢
社頭掲示板
社号標 注連柱
鳥居 神門
鐘楼 神仏習合の名残り
拝殿 本殿
境内社
0件のコメント